構成文化財

南紀男山焼

なんきおとこやまやき

紀州藩10代藩主・徳川治宝が藩の御用窯として開かせたのが起源。文政10年(1827)、崎山利兵衛が、当時の紀州藩の全面的な支援のもとに窯を開いた、紀州焼物の代表的な陶磁器です。大規模な登窯などもそなえ、最盛期の生産量は紀州一に。主に庶民の日用雑器が多く、全国各地に船で積み出されました。安政元年(1854)の津波で被災しましたが、濱口梧陵の支援により復興。明治11年(1878)まで50年余りにわたり焼き継がれました。窯場は広八幡神社東の小高い丘・男山の南面にあり、平成4年(1992)に開館した男山焼会館もその敷地内に入る、相当広いものでした。

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