日本遺産 「百世の安堵」とはAbout “Hyakusei-no-ando”

津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産

安政元年(1854)の南海地震から生まれた濱口梧陵の逸話「稲むらの火」や
その約50年後にあたる明治36年(1903)、犠牲者の慰霊や防災意識の継承を
目的として始まった伝統の祭り「津浪祭」など
広川町の防災文化にまつわるストーリーが日本遺産「百世の安堵」です。
地域で受け継がれてきた26の建造物や祭りなどで構成されています。

  • 濱口梧陵銅像
  • 稲むら
  • 広八幡神社
  • 広村堤防
  • 法蔵寺の鐘楼
  • 津浪祭の土盛り

日本遺産(Japan Heritage)とは

地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化や伝統を語る「ストーリー」を文化庁が認定する制度です。ストーリーを語るうえで欠かせないさまざまな文化財群を総合的に整備・活用し、国内外へ発信していくことで、地域の活性化を図ります。

和歌山県広川町全体写真

ストーリー概要ABOUT STORY

  • STORY 01

    稲むらの火

    安政元年(1854)11月5日、大地震が発生し、やがて暗闇の広村(現在の広川町)に津波が襲いかかります。それを察知した濱口梧陵は、田の稲むらに火を放って高台の寺社に逃げる人々の明かりとし、多くの命を救いました。

    構成文化財:稲むら
    構成文化財:稲むら
  • STORY 02

    まちの復興に向けて

    被害を受けた人々は、今後の生活や災害を案じて移住しようとしていました。そこで梧陵は、私財を投じて堤防を築く計画をたて、作業に関わった村人に賃金を支給。産業や教育も支援し、まちの復興と発展に力を入れました。

    構成文化財:広地区の町並み
    構成文化財:広地区の町並み
  • STORY 03

    防災が息づくまち

    広川町では安政の津波で人々が逃れた大道を避難経路の軸に据え、避難場所となった広八幡神社が今もその役割を果たしています。昭和21年(1946)の地震の際には梧陵らの築いた堤防が津波の流入を防ぎ、まちを守りました。

    構成文化財:広村堤防
    構成文化財:広村堤防
  • STORY 04

    防災意識の継承

    人々は先人の警鐘を暮らしに息づく祭りとして受け継ぎ、津波防災の心得や先人への感謝の言葉を刻んだ石碑を神社や堤防などに建立しました。100年先を見据えた防災遺産と防災文化は現在も広川町に受け継がれています。

    津浪祭(土盛り)
    津浪祭(土盛り)

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構成文化財一覧CONSTITUENT CULTURAL PROPERTIES

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