構成文化財

国史跡

広村堤防

ひろむらていぼう

安政元年(1854)の津波を受け、濱口梧陵が濱口吉右衛門らの協力を得て築いた長さ約600m、基底の幅約20m、高さ約5mの堤防で、国の史跡として文化財に指定されています。安政2年(1855)2月に着工し、安政5年(1858)12月に完成。沖の突堤、海沿いの石堤と合わせて、多重防御のシステムを構築しています。梧陵は1,572 両もの私財を投じ、のべ56,736もの村人を日払いで雇用することで、津波の被害で荒廃した村から人々の離散を食い止めました。昭和21年(1946)の昭和南海地震では、「是れ此の築堤の工を起こして住民百世の安堵を図る所以なり」という梧陵が残した言葉どおり、市街地への津波の流入を防ぎました。稲むらの火の館で申し込めば、耐久社濱口梧陵銅像とあわせて、語り部による案内付きで見学できます。

  • 広村堤防
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■この場所に関連する濱口梧陵の偉業

  • 稲むらの火のピクトグラム

    稲むらの火

    江戸末期の安政元年(1854)、東海地震が起きた翌日に、南海地震による津波が広村(現在の広川町)を襲います。その際、濱口梧陵は、暗闇のなか逃げ道がわからない人々がいると考えて田の稲むらに火を放ち、高台へ進む目印としました。

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