構成文化財

県史跡

耐久社

たいきゅうしゃ

動乱の幕末期、教育の必要性を痛感していた濱口梧陵は、嘉永5年(1852)、濱口東江や岩崎明岳らとともに、村の納屋に剣術や槍術、国学や漢学を教える稽古場を開き、梧陵自らも指導にあたりました。安政元年(1854)の津波で被災するも、翌年には再建。慶応2年(1866)には大道にある安楽寺の東隣に拡大移転し、永続を願って「耐久社」と名づけました。梧陵の没後も教育への熱意は受け継がれ、現在の広川町立耐久中学校、和歌山県立耐久高等学校へとつながっています。稲むらの火の館で申し込めば、広村堤防濱口梧陵銅像とあわせて、語り部による案内付きで見学できます。

  • 耐久社
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■この場所に関連する濱口梧陵の偉業

  • 「耐久社」を開設のピクトグラム

    「耐久社」を開設

    人材育成にも力を注ぎ私塾を開校。津波からの再興時には永続を願って「耐久社」と命名しました。

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